「この程度なら」の危うさ-コンプライアンスと心理的盲点-

コンプライアンスとは、狭義には法令順守、広義には社会的な良識、規範、倫理の順守を指し、現代では、法令違反はもとより良識や倫理に反する企業活動は社会的に許されなくなってきています。
ところが、これだけコンプライアンスが重視されているにも関わらず、会社や従業員のコンプライアンス違反は後を絶ちません。

「いけないと分かっていてなぜコンプライアンス違反をしてしまうのか」、その心理を知り、適切な対策をとるには、法律の知識だけではなく、社会心理学からのアプローチが必要と私は考えています。
社会心理学とは、個人が集団や社会からどのような影響を受けるのかを検討したり、集団や社会といった複数の人間の心理を研究する学問です。

今回は、「この程度ならいいだろう」と心理が持つ危うさについて解説していきます。

安全神話の裏に潜むリスク(集団思考)

日本企業が誇る高い安全基準。しかし、過去の実績や経験に依存し、「この程度なら問題ない」という判断が、知らず知らずのうちに甘さを生むことがあります。

たとえば、ある製品でデータ不正や仕様不備があっても、内部の「経験豊かな当事者」が安全性に問題ないと判断し、修正をせずに出荷してしまうケースです。これは、社会心理学における集団思考(groupthink)に該当する事象と考えられます。

集団思考とは、特定の集団において批判的な意見が抑えられ、集団全体が一致した判断に流れやすくなる現象です。この状態では、外部からの意見や批判が「わかっていない人の意見」として軽視される傾向があります。
たとえば、日本企業における安全基準の判断は、長年の経験や社内文化に基づくものであり、外部からの批判や指摘を「当事者でない人間の見解」として無視してしまうことが多いのです。こうした内輪の判断に頼りすぎると、コンプライアンスの基準が内部でのみ通用する独自の解釈に基づくものになり、社会的な信頼を損ねる可能性が生じます。

デジタル化の遅れと「見える化」の重要性(心理的慣性と信頼の再構築)

かつて日本企業が「技術の国」として認識されていた背景には、職人の技術や経験が大きな役割を果たしていました。暗黙知とされる技術やコツが受け継がれ、特に上司や先輩の経験が企業の強みとされてきました。しかし、現代において品質への信頼はデジタルで「見える化」されたデータにシフトしています。社会心理学的には、これは信頼の再構築とも呼ばれるプロセスの一環といえます。

この信頼の再構築が進まない背景には、心理的慣性(psychological inertia)という現象が関与しています。心理的慣性とは、新しいやり方や変化を受け入れるのが困難になる心の傾向であり、長年慣れ親しんできた方法を変更することに強い抵抗感を示します。たとえば、長年の経験と勘に基づいて判断するベテラン社員にとって、デジタルで「見える化」することは、長く続けてきた手法や知識が否定されるように感じられることがあります。

さらに、デジタル化は品質保証の一部として制度化され、信頼性の新たな基準となりつつありますが、この変化をなかなか受け入れられない企業文化も少なくありません。そのため、「経験豊富な当事者による暗黙知」という伝統的な価値観が残り、データを基にした客観的な評価や「見える化」による信頼性の確保が進まないという現象が生じているのです。

普通の人でも不正を行ってしまう理由(ごまかし理論と割れ窓理論)

私たちは一般的に、コンプライアンスを破るのは「悪い人間」と考えがちですが、社会心理学的には、普通の人でもごまかしや不正をしてしまう傾向があります。私はこれを「ごまかし理論」と(勝手に)読んでおり、日常生活の中で「この程度なら大丈夫」と自己正当化し、小さなごまかしを許してしまう心理を説明しています。

たとえば、ある職場で帳簿のわずかな改ざんが必要な状況に遭遇したとします。人は自分を「不正を行わない正しい人間」として認識したい一方で、「これくらいなら影響はないだろう」「正当な理由があるから問題ない」という思い込みから小さな不正を容認してしまいます。ごまかし理論では、こうした小さな行為を自己正当化し、さらに周囲の人々も「このくらいは普通」として容認することで、不正行為が広がりやすいと説明されます。

また、このような不正行為が他者にも影響を及ぼす現象は、割れ窓理論(broken windows theory)としても知られています。割れ窓理論とは、些細な規範違反がさらなる違反行為を誘発することを指し、たとえば、職場で小さな不正が見過ごされると、他の従業員も「これくらいは許される」と考えてしまうのです。このようにして、些細な規範違反が不正の連鎖を引き起こし、組織全体の倫理基準が低下してしまいます。

思考停止と権威への服従

ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは「悪事は思考停止した凡人によってなされる」と述べ、権威に対する服従が不正行為の一因であることを指摘しました。組織内での思考停止は、特定の上司や権威者からの命令に対して疑問を持たずに従ってしまう、いわゆる「権威への服従」(obedience to authority)の状態を引き起こします。

心理学者スタンレー・ミルグラムの有名な実験では、人々が権威者からの命令に従って、相手に対して電気ショックを与える行為を続けてしまうことが明らかにされました。この実験は、命令に従うことで責任の所在を権威者に帰属させ、自身の行動に対して責任を感じにくくなる心理を示しています。
企業においても、上司や先輩の指示を受ける立場の社員が、自分自身の価値観や判断を後回しにし、指示に従うことで思考停止に陥ることがあります。この結果、コンプライアンス違反が生じる可能性が高まります。

まとめ:透明性の確保と心理的抵抗を克服するために

現代のビジネス環境において、コンプライアンス遵守は法的な義務にとどまらず、組織全体の信頼性を高めるための重要な要素です。社会心理学的視点から見れば、「この程度なら問題ない」という認識が、個人や組織内に無意識のうちに浸透し、倫理的な判断基準をゆがめてしまう可能性があります。デジタルでの「見える化」を進め、客観的な基準に基づく透明性を確保することで、組織内外の信頼を再構築することが必要です。

また、組織内での心理的抵抗を克服するためには、開かれた対話を促進し、あらゆる階層の社員が自分の意見を自由に表明できる環境を整えることが重要です。こうした取り組みによって、社員が他者の行動に依存することなく、自分自身の価値観に基づいた判断を下せるようになるでしょう。
社会心理学的な知見を活かし、組織全体でコンプライアンス意識を高めていくことで、「この程度なら」という思考の罠から抜け出し、より健全な組織文化を築くことができます。

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